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パニック障害になった日
JUGEMテーマ:健康

パニック障害…
何の前触れもなく発症した日。

当時32歳だった私は会社の設立に張り切っていた。
20代の頃にITバブルの波にのり6社の役員を経験したものの、会社規模が大きくなる中のくだらない派閥闘争や金銭トラブル(横領等)のはびこる組織から独立してフリーで細々とIT屋をしてたのだが、お客様にも恵まれ、取引の関係もあり法人成りと準備を進めていた。
確かに名義だけの社長はした事あるが、今回は自分で小さくとも一国一城の主へと思っていた。
今までは指揮命令していた身だが、今度は自分でやらなくてはならない。
当時は不思議と睡眠時間が極端に短く、4時間も寝れば十分となっていたのだが、後にこれが前兆であったと知ったのは後の事であった。
手帳はスケジュールで埋まり、商談・企画提案・制作と一人で行っていたが苦でもなかった。

その日は、お客様とのマッチング(自分のお客様同士を合わせて商談)を組んでおり、仲人的な私は必要不可欠な状態だった。
横浜での打ち合わせで、本来であれば湘南新宿ラインで行くのが所用があり、浅草(銀座線)〜渋谷〜横浜元町(東急)と遠回りコースだった。
浅草までの特急車内で胸焼けが酷くなって胃薬トローチを2回服用した。
銀座線は始発なので座れてたのだが、混雑が始まると息苦しさと嘔吐感が始まっていた。
そして、東急東横線に乗った時に全身に違和感を感じ始めた。
車内は比較的に空いていたのだが、空席はなくドア横の棒に掴まって外を眺めていたのだが、呼吸が荒くなって来て、社内を見渡した時に強い嘔吐感と目眩を感じた。
「もう降りたい…」と思っていたが急行に乗っている、車内で嘔吐はまずいと思い始めてたがどうにもできない。
あぶら汗をかきながら、ただひたすら次の停車駅を待っていたが外の景色を見ていても気持ち悪くなり、ドアから離れてつり革掴まって目を閉じて立っていた。
そして、体が浮く感じと同時に膝から崩れ落ちて倒れてしまった。
ドラマのように、ゆっくりとスローモーションで視線が落ちて行った。
車内から「キャッ」と言う小さな声を聴きながら、倒れ呼吸ができない状態に陥っていた。
「死ぬのか?」と生まれて初めて思った。
側にいたカップルと数人が「大丈夫ですか?」と駆け寄って来てくれたが、返事をする事もできない。
女性から「過呼吸じゃないですか?落ち着いて鼻から少しずつ息を吸ってください!!」と言われ、その通りにしたら辛うじて息が戻った。
みなから起こされ床に座った状態で「次で降ります」がやっと言えた一言だった。
駅に着き、なんとか立てた私は「駅員呼びますから」と降りてベンチに座った。
一言も礼を言えなかったのを悔やんでいる間もなく、トイレに行って吐こう、そしたら落ち着くと思いトイレへ向かい、身障者用のトイレに入り(洋式だったから)便器に向かって吐こうとしたが結局何も吐けないまま、綺麗も汚いも感じる事無く床に膝をつき便器を抱き抱え…激しい目眩が収まるのを待った。
とにかく時間には間に合わない…と、便器を抱えたままお客様に電話して私抜きでの商談をお願いした。
もうやむ得ないと改札に向かい、少し駅員室で休ませてもらう事にした。
駅員室内の仮眠室だろうか、うす暗い電気の下で布団に横になりながら、もう何をどうして良いか分からなくなってた。
もうダメだ、救急車を呼んでもらおうと、妻に「ここがどこかもよく分からないけど多分川崎あたり、また連絡する」と言い、駅員に救急車を呼んでもらった。
改札の外で担架に乗せられ、人混みの中を注目されながらの移動。
「まさか自分がこうなるとは…」と言うのと、自分の身に何が起こっているのかも分からない不安のまま救急車に乗せられ、緊急搬送された。
しかし、病院行ったところで原因は不明のまま。
当時服薬していた薬から急性胃炎とも思われたが腹痛はない、嘔吐もない。
過労かも知れないが…とにかく精密検査しないと分からないだった。
結局入院もなく妻が川崎まで車で迎えに来るまでの間、何を打たれたかは知らないが適当な点滴を打たれて放り出された。
その頃には嘘のように落ち着き、喫煙所でタバコを吸いながら迎えを待っていた。
群馬県民には四苦八苦する環八を本当に四苦八苦して迎えに来た妻と運転を交代して帰路についた。
一体、なんだったんだ?と自分でもよく分からぬまま、その日は帰った。

翌日、もう何ともなかったが主治医の診断を受けた。
「特に異常なし」
緊張し過ぎたのだろうと軽く思った。
しかし、夕方になりあの症状が再び出た。
そして、継続はないものの呼吸困難、体の痺れ、目眩、集中力の欠如と日に日に悪化していく。
とどめは次の電車で出かける時の事だった。
人混みの電車をホームから見て動けなくなってしまった。
仕方なくグリーン車に乗り出かけたものの、渋谷の人混みを駅のホームから見ても気分悪く動けない。
幸いにもその日はJR線だけだったので帰りもグリーン車で帰れて事なきを得た。
しかし、それからは焦燥感と息苦しさに襲われる日々が続いた。
ただ、私の場合は飲酒をすると収まる傾向があった。
自分ルールで酒は日が暮れてから、仕事が終わってからとしていたので毎日夕方飲むのを楽しみにしていた。
楽しみと言っても以前の晩酌の楽しみではない、苦しさから少し開放される楽しみで。

そんな日々を過ごしながら、これでは満足に仕事もできないと悩み始めていた。
ふと、検索に「人混み 苦しい」と打ち込んでみた。
その結果を見て愕然とした。
「パニック障害」がズラーと出て来たのだ。
症状は当てはまる、自分がパニック障害なのだと初めて知った瞬間だった。
さっきまで知らなかった病気。
だが、精神病と言う事に愕然とした。
「まさか自分が精神病になるなんて…」
近所で受診できる場所を探した。
その病院は、いわゆるキチガイ病院だ。
よく子供の頃にバカにする時に言ったり言われたりした、「一度○○病院へ行けよ」の○○病院。
私だって当時は誤解と偏見をもっており、奇声を発する患者だらけの病院で行くのが怖かったが、現実もう仕方ないのである。
覚悟を決めて古臭い建物のキチガイ病院へと向かった。

病院の建物は古かったが、待合室にいる人は普通の人ばかりだった。
若い女性も普通にいて、これがキチガイ病院なのかと思った。
そして診察、今思うととても幸運な良い先生に当たった。
※その後、病院を変える時には合う医者がいなくて苦労したから
診断はパニック障害そのまんまだった。
ソラナックス等を出してもらい、帰り道の自販機で水を買って飲んだ。
正直、怖かった、精神薬だから。
帰宅して急にダルくなり、そのまま今のソファーで寝てしまった。
たった30分寝ただけなのに、世界が違って見えた。
苦しさから開放されてる、頭がスッキリとしている、食欲が戻ってる。
元の自分に戻ってこれた、またバリバリ仕事できる!!
しかし、これが更なる悪化と薬と共に生きる道への入口となった。
休む時は休まなければいけないのである。
これは自分の失敗、医者の言う事は聞いた方がいい。

その後、サブプライムショックにリーマンショックと不況が世界を襲い、私もその煽りを食らった。
そして、うつ病になりストレス性摂食障害も発症した。
入院もしたりしたが、その話はまたの続きに。

※一部「キチガイ」と差別表現ありますが、感情表現として敢えて使用しています
author:Muck!, category:そのた, 12:01
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Comment
拝見しました。パニック障害になった経緯が私とそっくりで、
コメントを致しました。私も自分がパニック障害持ちになった経緯を書ければ良いですけど、頭が良くなくて経緯をかけません。仕事に追われ過労していた事と睡眠不足毎日4.5時間だったのと父の死が重なって鬱になっていて私はパニック障害になりました。
RIEKO, 2015/06/28 6:24 PM









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